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揚輝荘へ行ってまいりました

愛知

愛知県名古屋市千種区(覚王山)にあります、揚輝荘(ようきそう)という歴史的建造物を訪れました。

パンフレットによると、

揚輝荘は、大正から昭和初期にかけて松坂屋の初代社長伊藤次郎左衛門祐民によって構築された別邸です。かつては各界の要人や文化人が往来する迎賓館、社交場として華やぎ、アジアの留学生が寄宿して国際的なコミュニティを形成した場所でもありました。

揚輝荘パンフレットより抜粋

とのこと。ほー松坂屋の社長がねー。覚王山にはよく行きますが、こんなとこあったんだーといった感じです。

覚王山日泰寺

覚王山には有名なお寺、日泰寺があります。

覚王山日泰寺 (かくおうざん にったいじ) は、愛知県名古屋市千種区法王町にある超宗派の寺院である。タイ王国から寄贈された 真舎利(釈迦の遺骨)を安置するために、創建された。「覚王」とは、釈迦の別名。また「日泰」とは、日本とタイ王国を表している

Wikipediaより

肝心のお寺を撮ってないです。結構人がいたのでやめちゃいました。

こちらには何度か訪れたことがありますが、揚輝荘はそのすぐ近くです。

揚輝荘

北園と南園に分かれてて、北園は無料で観光できます。

北園

伴華楼(ばんがろう)昭和4年建築

白雲橋 天井に龍の絵があるんですが、渡ることはできません。

三賞亭 茶室です。

豊彦稲荷 真っ赤な鳥居が素敵です。

夫が立っている橋の下の池には日泰寺の五重塔がきれいに映るはずなんですが、嫌がらせのように鴨が2匹顔を突っ込んでは出すという動作を繰り返していて、水が濁りまくりでした。

南園

入場料300円

聴松閣(ちょうしょうかく) 揚輝荘のメイン建造物です。昭和12年建築。

これは紅葉したらやばそうですね!

聴松閣は地階、1階、2階を観光することができます。

地上3階は各国様式がミックスれてて、そこまで古い時代のものではないのですが、贅や工夫が各所に凝らされていているのを見るととても興奮します。こういうの好きー。3階部分も見たい。

地階

舞踏場と舞台があり、インド様式です。

留学生が描いた壁画が残されています。あとでパンフレットを見て留学生が描いたって知ったんですが、衝撃です。めっちゃうまい。

なんて優秀な留学生なんだ。そら優秀でないと来れないか。

ここにある小劇場では今でも定期的にコンサートが行われているそうです。

ずっと使われているって、嬉しい。

肝心の舞台を撮り忘れました。すごく小さくてかわいい舞台なんです。

1階

食堂やサンルームや居間として使われていました。

サンルームには全盛期(昭和14年頃)の揚輝荘を再現したジオラマが展示してあります。

現在の揚輝荘の土地の大部分はマンションになってしまっているので、北園と南園をつなぐ小道はマンションの脇を通り抜けるような格好になってます。残念。

食堂は現在休憩室として使われていて、喫茶のオーダーもできるので、庭園を眺めながら一服してもOK。

この絵は祐民が名大病院に入院した時に描いたものです。

手術にあたって、家族が輸血のための血液型の検査をしているところらしい。腕に名前がかいてあってかわいい。

病室の千羽鶴やテーブルも車も上手ー。

2階

寝室や書斎や応接室があります。

現在は展示室として使われ、パネルなどで地域の歴史や揚輝荘を作った伊藤次郎左衛門祐民について知ることができます。祐民はイケメンですよ。

揚輝荘、とても楽しかったです。

ガイドのおじさんがいて、お客さんが来るとさりげなく説明しながらついたり離れたり。

すごくいろいろ案内してくれそうですが、コミュ障の我々はある程度聞いたらそそくさと逃げてしまう。

ここはちゃんといろいろ聞いて、ブログに活かさなければ!と思う今日この頃。

これからは気をつけます。

なぜかおじさん、後から夫に「業界の人ですか?」って聞いてました。

いえいえ全然!!とあわあわしながら離れましたが、業界?一体なんの・・。それについても突っ込んでいかなくては、疑問が残ったままですわ。

え、どのあたりで?

アクセス

ホームページの地図よりパンフレットの方が分かりわかりやすかったので載せました。

覚王山駅から日泰寺までの日泰寺参道には新旧とりまぜの魅力的なお店がいっぱいです。揚輝荘と合わせてお楽しみください。

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